brain office pad incロゴ

HOME随想「東京下町物語」>銭湯・月島「菊の湯」

銭湯・月島「菊の湯」


銭湯
東京・中央区月島「菊の湯」1991/4撮影

 少し前まで下町では、お風呂は銭湯と相場が決まっていた。
 たいていの銭湯は、神社みたいな屋根の造りで、正面には「菊の湯」「梅の湯」「松の湯」等と、名前を染め抜いた暖簾がかけてあった。
 玄関を入ると入り口のたたきには、下足を履き替えるすのこがひいてあり、両側には木の下駄箱が男湯と女湯に別れて並んでいた。
 お正月以外は銭湯が開くのが午後3時だったので、1番風呂のお客は、築地の魚市場の人でいっぱいだった。
 下駄箱は、いつの間にか使う箱が決まってきて、いつもの箱がたまたま他の人に使われていて開いていない時は、ちょっとがっかりした気分になったものだ。
 男湯は、たいてい玄関に向かって右側にあり、曇りガラスの入った重い引き戸を開けて脱衣所に入ると、昼間は高い天窓から薄暗い室内に陽が差し込んで、スポットライトのように脱衣籠の何カ所が照らしだされ、舞台の上のような不思議な空間になっていた。
 男湯と女湯の大きな鏡がはめ込まれた間仕切りの突き当たりには、番台が鎮座していた。番台は、木製で大人の胸あたりまでの高さがあり、大人が一人やっと座れる大きさに畳が敷いてあった。
 下町の男の子の間では「一度でいいから番台に座りたい」という話は、盛り上がる話のネタだった。番台に入浴料を払う時に女湯の脱衣所がのぞき見える。
 着ていた物を脱いで入れるのは、ツタのような物で編んだ籠だったので、番台に座った人の手の間から運良くかいま見える女性の裸は、その日を夢心地にしてくれた。
 銭湯には背中に入れ墨をしたおじいさんや片足のない人、大衆演劇の女形の人なども入っていた。おじいさんの背中の入れ墨の不動明王は、少したるんだ身体に、恐いと言うより少しやさしく見えた。
 片足のない人は、幾重にも巻いた義足のひもをほどき、はずした金属の義足を脱衣籠に丁寧にたたんで入れ、片足でケンケンをして、いつも元気よく浴室に入ってきた。
 女形のおじさんは、銭湯の中でも膝に手ぬぐいを挟んだような、足をすり寄せた独特な仕種で歩き、  浴槽に入るときも「ゴム飛び」のように内股でまたいでいた。
 思えば、今では奇異な目で見られたであろう人がいたのに、その人たちを特別に見る人もいなかった。
 浴室の男湯と女湯の間仕切り越しには、『もうでるよー』などと威勢の良い声がして、誰々と言わなくても『あいよー』とあうんの呼吸で返事する人がいて、以心伝心のコミュニケーションが飛び交っていた。
 深夜12時近くのしまい湯に入ると、洗い場で体を洗っていても、照明が次々と消され、隅の方から「たわし」でタイルの床掃除が始まる。
 木桶が次々と洗われピラミットのように洗い場に積み上げられる。
 脱衣所で洋服を着るころには、洗い場の灯りもすっかり消され、昼間の賑わいが嘘のように静まりかえった別の顔の銭湯があった。
 今、下町から銭湯が次々と消えている。「菊の湯」もマンションに建て替えられて今はない。


Copyright 2007 Brain Office Pad inc. All rights reserved