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随想「東京下町物語」
- テレビが町の来た頃 -

辰巳芸妓
54年2月21日 力道山の試合を旧朝日新聞社前の街頭テレビで見る大群集(朝日新聞から)

その頃テレビは町に来たという感じだった。
テレビ放送が始まって間もない頃、
どこの町にもあった空き地の一角に、ある日、
大人の背丈よりも高い台が作られ、
その上にテレビが据え付けられた。
受像機は箱に入っていて扉には鍵がかかっていた。
夕方になると町会の人が扉の鍵をはずしてテレビのスイッチを入れる。
テレビが始まる時刻になるとその台の前は、
あっという間に黒山の人だかりが出来た。
街頭テレビと呼ばれていた。
テレビは昭和29年に旗揚げされた日本プロレスが、
圧倒的に人気を博していて、
新聞にはプロレスを見た年寄りがショック死をしたという記事まで載った。
黒いタイツ姿の力道山がインド人レスラーのダラシーン、
アメリカ人の世界チャンピオン岩石落しのルーテーズ,
シャープ兄弟などの屈強な外人レスラーと戦い、
さんざんやられて頭から出血したのを機に、
突然と堪忍袋の緒がきれて、
「天下の宝刀空手チョップ」で反撃し相手をしとめるという試合の流れが、
敗戦後それほど経っていない日本人の気持ちを高揚させた。
試合はいつも大体同じ流れで進んだが、日本中の視聴者は、
毎回力道山が痛めつけられてから、
最後に外人レスラーの傍若無人に怒って放つ空手チョップを待っていた。
さらに、力道山と元柔道全日本選手権者の木村政彦との、
柔道とプロレスのどちらが強いかという異種格闘技試合で、
木村政彦が空手チョップと足蹴りでぼこぼこにされてから、
さらにプロレスの人気が沸騰し、テレビの人気をも押し上げた。
テレビ受像機はその後、徐々に街頭テレビから、
食物屋の店に入って来て、店はどこも店の外まで客が溢れかえった。
客は一品頼んでプロレスの試合が終わるまで粘った。
もっとも店は身動きできないほど込み合っていたので、
食べ終わっても出ていくこともできなかったが。
下町の家でも比較的早くテレビが来た家の受像機は、
既製品ではなく、技術者が組み立てたオーダーの受像機だった。
テレビは居間の正面に置かれ、
画面には垂幕のような周りに房がついた布がかけられていた。
今と違いテレビはよく故障した。
故障するとその都度、組み立てた技術者に出張してもらい、
家で修理をしてもらっていた。
たいていの場合故障はすぐなおらず、
お客様のように技術者に夕食をだし夜遅くなってもなおらない時は、
次の日もお金を払って来てもらっていた。
当時、魔法の箱のようなテレビの受像機の組み立て技術者は、
最先端の職業で修理とは言え、花形の職業の人が家に来る日は家の中が華やいだ。