随想「東京下町物語」
- 粋人の昔話し -


昔の花柳界はとにかく遊ぶ人ももてなす料亭のおかみさん、
芸妓さんも粋でした。
もちろん料亭で遊ぶ時は予約を入れておきます。
予約時間の近辺に料亭に出向くと、
玄関でおかみさんが、まるで我家のように出迎えてくれます。
我家といっても現実の我家の雰囲気ではありませんが。
とにかく何にも言わなくても全てを心得てくれている、
それはもう気持ちの良い浮き世を抜け出た別世界でした。
座敷きに上がって一緒に来た仲間達としばらく話等していると、
お酒と料理が運ばれてきます。
ころ合いを見計らって芸妓が入ってきて三味線に合わせて唄や踊りが披露され、
いわゆる宴席が始まります。
私が料亭遊びをしなくなる頃には、
ギターで歌う芸妓も出てきたのにはびっくりしましたが。
お座敷遊びとしては投扇興と言って、
扇を投げて箱の上の的を落とす遊びや、
東八拳と言うじゃんけんのように、
鉄砲と狐と庄屋のまねをしてさんすくみで勝負を競う遊び等です。
私たちは時たま気に入った芸妓がいると悪戯(悪い)遊びをしました。
宴席の途中で小用で席を立ち部屋を出たところを、
料亭のおかみさんがそっと後をおってきて、
それとなく気に入った芸妓を聞いてくれます。
宴が終わった後、おかみさんが別の部屋にそれとなく理由を付けて案内してくれ、
浴衣に着替えてふとんに入っていると、
障子の外で小さな声で「入ります」と声をかけ芸妓が入ってきました。
芸妓は、行灯の灯で薄明かりになっている部屋に入ると、
着物を脱いだ後、緋色の長じゅばんを行灯にふわりとかけたのです。
その瞬間それまで薄墨の明かりの中にあった部屋が桜色に染まりました。
部屋の空気がポート熱くなったように感じました。
もちろん私の気持ちも熱くなりましたが。
芸妓は躯をするりとふとんの中に滑らせるように入ってきました。
そのふとんに入るまでの一瞬に見た芸妓の桜色に染まった躯の美しさは、
目を疑う程でした。
この頃の花柳界には固いしきたりがあり、
客はかならず夜明け前には帰らなければならないことと、
どんなに馴染みになっても、
芸妓と料亭の外で合うことはできませんでした。
この夜の一時のことはあくまでも花柳界の中の世界のことであり、
日常と言う外の世界とをはっきりと区別するためのしきたりでした。
粋な人達もいなくなりました。
おかみさんの心ずかいや芸妓のふるまい、
花柳界のしきたりも含めて今は望むべきもないことです。